小清水議長、四之宮

小清水議長さんとのお付き合いは私が宇和島に赴任したときから始まりました。当時市議会は合併をされた直後で初代議長に浅田議長さんが就任されていました。その時の副議長が小清水さんでした。市議会の懇親会に浅田議長さんから良くお招き頂きました。お陰様で市議会の皆様方と親しくお付き合いを頂くことが出来ました。結果的にはこのことが宇和島じゃこ天カーニバルの成功に繋がりました。これについては宇和島じゃこ天カーニバルが始まるまでで述べて参りたいと思います。そして私が宇和島を去るに際しては送別会をお開き頂き党派を超えての参加には本当に胸が熱くなりました。
行動力のある小清水さんとはなぜか気が合い南予の巨大なブンタンなど様々な柑橘をお教え頂いたり吉田の元気な方々を紹介され農林水産に経験の無かった私には業務を推進する上で大きな力となりました。また、私が松山観光港に勤務しているとき当時小清水さんは愛媛県若い農業後継者の会長をされており、私を講師にお招き頂き講演をさせて頂きました。清家会長を囲む会では中核的な存在であり欠かすことは出来ません。青年団の団長なども経験されておられますからリーダーシップ、ボランテイア精神も旺盛です。
出身は吉田町喜佐方です。喜佐方はみかんを栽培される篤農家が多いことで有名です。かどやの清家会長も喜佐方の出身です。
それと海運王山下亀三郎さんの生まれたところでもあります。秋山大将が病気療養されたとき滞在された別荘があるところです。山下さんが寄贈された当時の橋があります。喜佐方丸が吉田湾に入港したとき清家会長はお父様に連れられてお会いにいったと話されておりました。
小清水さんとはもう8年余りのお付き合いを頂いておりますが、本当に裏表のない見たままの行動力の固まりのようなかたです。
まだ若い53歳です。南予の地域振興のため今後ますますご活躍を頂きたいと思います。
「今年の柑橘は、議長職が多忙なため十分な手入れが行きとどかなかった。」と我が家のものだとすすめて頂きながら屈託のない笑顔で力強く抱負を語られました。

今回の集中豪雨による吉田町の未曾有の被害をお見舞い申し上げますとともに、早期の復興を心からお祈り致します。平成30年7月

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