加戸守行前愛媛県知事さんのご逝去の報に接し、 謹んで哀悼の意を表します。

加戸守行前愛媛県知事さんのご逝去の報に接し、
謹んで哀悼の意を表します。

加戸前愛媛県知事さんが、ご逝去されました。
2月に頂きました、ご家族とご一緒の写真とご鄭重なる言葉が書かれた寒中見舞い状には、体調を崩したため、今後の賀状の交換を遠慮したいと書き添えられていました。その日から、こんなに早く亡くなられるとは夢にも思わず、驚きと悲しみの気持ちで一杯です。
加戸前愛媛県知事さんは、情に溢れ、決断力と行動力のある、信念の方でした。
加戸前知事さんのお写真を排見させて頂くとどれも笑顔が素晴らしく、そのままの裏表の無い方でした。
今、国難の状況にあり、危機管理能力がリーダーに問われていますが、大義の為に自らを捨て果敢に立ち向かえる方がそれに相応しいと思います。
正に、加戸前愛媛県知事さんがそのような方でした。
私が、部下としてお仕えしたとき、私の提案に周囲が反対をする中「困りましたね、困りましたね」と粘り強く説得をされ思いの実現にこぎ着けて頂いた事が良くありました。
宇和島に奥様とご一緒に来られた時、遊子漁協で鯛めしと煮干しの焼いたのを、満面の笑みを浮かべ、美味しいと食べられたのが目に浮かびます。
私は、退職をしてからは、自らの独自の道を歩みたいと、現役の方々とのお付き合いはありませんでした。それで加戸前知事さんと直接お会いする機会も無かったのですが、一度だけ衆議院議員選挙で候補者を力強く応援演説をされるお姿を拝見したのが最後と成りました。私も、少しでも加戸前愛媛県知事さんに近づけるよう余生でチャレンジを続け、同様に86歳まで賀状交換を行えるよう頑張りたいと思います。
令和2年3月  四之宮忠正

◎良き先輩 同僚友人に支えられ 惻隠の心を心情に加戸流を貫き 何事にも全力で取り組めたことを 家族一同誇りに思い 皆様に心から感謝申し上げます

との鄭重なご挨拶状を頂きました。

 故加戸前愛媛県知事さんは、正しくその通りの方でした。
私も、前知事さんの足下には到底及ぶ事は出来ないと思いますが、それに倣い、余生を四之宮流を通し生きて参りたいと思います。

           令和2年5月

お別れの会は延期されるようです。

令和2年12月11日(金)

関係者のご尽力により、遺稿集の出版も明成社で準備されており、教育、憲法など加戸節が広く書かれた内容と成っており、近々出版されるとのことです。(森高康行ミニ通信より)
また、お別れ会も再延期されたとの事です。
よみがえる、加戸節 期待が膨らみます。

 令和3年5月22日(土)

「加戸守行元愛媛県知事のお別れの会」のご案内を頂きました。
奥様の道子様から、延期をされていた「お別れの会」を執り行うとのご案内を頂きました。
 日時 令和4年3月22日(火)午後2時より
 会場 愛媛県県民文化会館メインホール
(愛媛県松山市道後町2丁目5-1)

とのことです。
加戸元愛媛県知事さんの笑顔が浮かんで参りました。

       令和4年3月16日(水)
        四之宮忠正

◎加戸守行元愛媛県知事さんのお別れの会に参りました。
 正しいと思ったことは貫き通せ
 愛媛県県民文化会館メインホール
 (愛媛県松山市道後町2丁目5-1)
で執り行われたお別れ会に参りました
 笑顔の加戸元愛媛県知事さんの遺影にお会いし、お礼の言葉を心のなかで述べさせて頂きました。
式辞で中村愛媛県知事さんが「正しいと思ったことは貫き通しなさい」と加戸元知事さんから言われたと述べられました。
その言葉が、最も印象に残りました。
周囲が反対するにも関わらず突き進む私を、特に制止するでも無く「困りましたね、困りましたね。」と言いながら粘り強く説得を頂き実現出来たことが、沢山有りました。
その一つひとつが脳裏に浮かんで来ました。
本当にありがとうございました。
加戸元愛媛県知事さんの足下には、到底及ぶことは叶いませんが、これからも四之宮流を通して参りたいと思います。
私の伊能忠敬の足跡を巡る会の四国支部長としての目標、バイクツーリング全県庁の訪問と所在地の市町村訪問がまだ半分残っています。
(地域は、バイクで日本一周を終えましたが)
コロナが収まれば、まず四之宮発祥の地 神奈川県平塚市役所、今治西高3人会の羽藤君の姪ごさんが勤務されている神奈川県庁をバイクで訪問したいと思っています。
と遺影に心のなかで報告をさせて頂き会場を後にしました。

令和4年3月22日(火)

      四之宮忠正

一身にして二生を経る     自らの可能性に挑戦

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