宇和島自動車グループの皆さん

長年のお付き合いで気心の知れている広瀬了社長さん(現宇和島商工会議所会頭)をお訪ねをした。広瀬さんとは県庁の市町村課の時一緒であった。人生の生き方に決して器用と言えないが裏で変な画策をしない広瀬さんは信頼出来また気が合った。私は選挙係にいたが当時衆参同日選挙、知事選挙などが続き多忙な日々が続いた。選挙は当然管理執行も大変だが選挙物資の作成、選挙啓発、投開票速報、次から次への市町選管への説明会など準備にはたくさんの方々にお願いしなければならないことが多い。当時は70市町村あったから市町村選管の事務説明会があれば150の机を大会議室に用意しなければならない。選挙係は4人しかいないので他の係に援助を依頼する。他の係も決して暇でないので最初の内は気軽に引き受けてもらえるがその内段々と返事が重くなる。特に財政係にはこういう事に得てた方々が多くざっくばらんな喜安係長(当時、現県共済組合連合会会長)さんには良く助けて頂いた。こいう状況下、広瀬さんには調整係として経費の円滑な支出や様々な積極的な援助のほか慰めをして頂いたりした。これを機にお付き合いがずっと続いていた。私が宇和島に赴任と同時に宇和島自動車の社長になられたのでなにか事があれば宇和島育ちの広瀬さんに相談をしていた。それで女性の秘書の杉浦さんとも顔なじみになった。ガイヤカーニバルの時は私が広瀬さんに「出場して踊ります。」と話していたのを、お茶を出して頂いていた彼女がそれを聞き「それなら社長も参加したら。」と上申され実現の運びとなった。また、辰野川清掃活動にも無理なお願いをし社員の方々の参加を頂いた。
じゃこ天カーニバルのお願いの時にも杉浦さんがお茶を出して頂きながら興味を示された。
広瀬さんは説明を聞かれた後「是非、参加します。」と力強く返答を頂いた。民間の経済人第1番目の参加表明、さい先良いスタートを切った。
そして、昨年の10月清家会長を囲む会で偶然にお会いし「今年は所用のため参加出来ません。」と話された。それを聞きむしろ驚いた。7回目までずっと参加し踊り頂いていたのか。広瀬さんらしいなと心から感謝した。

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