宇和島じゃこ天カーニバル

私たち夫婦は3月末宿舎に行くため車で宇和島に着いた。宇和島の地は初めてである。夕食の用意のためとある店舗でなにげなしにじゃこ天を購入した。そして宿舎でそれを食べたときそのおいしさに夫婦ともども驚愕した。それは今まで松山で食べていたじゃこ天と思っていた味とは全く別物であった。そのうまさの秘密はどうしてか大変興味を持った。ある日島原理事長さん(当時)が宇和島じゃこ天について語っている記事を見つけた。それで地方局にお越し頂きじゃこ天のお話をお聞きした。歴史に始まり、原料は小魚のはらんぼであることなど、穏やかな温かみのある語り口で懇切丁寧な説明を頂いた。おもしろさのあまり時間は知らぬ間に1時間を超えていた。その後和霊公園で私や地方局員の有志がじゃこ天踊りをパフォーマンスしたり、南予文化会館でのじゃこ天の歌合唱などにより親しくお付き合いをさせて頂くこととなった。
井野課長補佐の連絡によりお越し頂いた島原理事長さんはやろうという意味を込めて「薬師神専務(現理事長)や組合員の皆さんに相談します」。と静かに答えられた。大変な決心であったと思われる。計画書も予算もないしかも2ヶ月ばかりの話である。しかし「是非やろう。」とのニュアンスで受け取った私は翌朝宿舎の裏、大超寺奥にある宇和島ユースホステルに浅田さんを訪ね了解を得た。島原理事長さんは、その後私が宇和島を離れ、松山観光港に勤務したときもお越し頂き経営に関して指導いただいたり、宇和島市役所の方々や多くの宇和島市民の方々とともにイベントをしていただいた。そのとき自らがじゃこ天をあげていた。「どうしてですか。」とお聞きしたところ「お客さんの反応を知るため。」と答えられた。
そしてカーニバルの第2回目以降終了すると安堵したように「終わりました。」と携帯電話に連絡を頂いた。極めつきは島原理事長さんが叙勲を受けられ全日空ホテルで祝賀会が開催された時、案内頂いた私がホテルのエスカレーターを降りた途端会場の入り口から走るように私のところへ来られご夫妻ともども挨拶に来られたことであった。
私は、恐縮するばかりであった。
これが宇和島男子である。島原理事長さんとはこういう方である。
地方局にお越し頂いた後、理事長さんはカーニバル実現に向け厚い人望と力強い指導力で成功へと導いて頂くこととなる。
 
そして、私は島原理事長、浅田さんとお話した後、井野課長補佐を呼び状況を説明するとともにかどや清家会長に協力を頂くためお越し頂くよう伝えた。
 
 

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