大和田建樹像

さっそくポスターの製作にとりかかった。ポスターは極めて重要と考えていた。また、単なるPRの手段とは考えていなかった。参加頂くトップの方々の決意発表の手段としたいと考えていた。また参加頂くトップの方々への説明に使いたいと思っていた。またイベントを単なる宇和島のローカルのものに終わらせてはいけない。地域外でも喜んで掲示していただくものにしたいと考えた。それに歌と踊りの祭典だ。メジャーな大和田建樹さんに活躍頂くほかはないと思った。それと中央制覇を考えていた。東京の首都圏制覇。具体的には新橋駅への掲示だ。汽笛一声新橋を、これから新たな出発を図るにはふさわしいイメージだ。宇和島の地域振興に積極的であった長岡宇和島教育事務所長さんにお願いした。美術の先生が肖像画を見ながら完成頂いた。ちなみにイラスト画が私の似顔絵ではないかと流布されたそうであるが事実はこういうことだ。私の方が大和田建樹さんよりずっとハンサムと思っている。ポスターは2枚セットとしている。もう一枚は参加頂くトップの方々にコメントを頂きあわせて掲示したいと思った。このイベントは、単に蒲鉾組合、地方局、宇和島市の事業ではない。市民の皆様が一体となったカーニバルと言うことだ。
ポスターは片岡係長が責任者に制作者は新宇和島伝説のポスター作りに活躍をしたG主事が携わった。原案が私のところに提示された。
じゃこ天合唱祭となっていたのを世界に向けて羽ばたくには余りにも弱い。カーニバルにするよう指示をした。宇和島市民の皆様に参加頂くよう9万人とした。世界に羽ばたけはじゃこ天の歌のCDを香港支店で当日放送頂くよう伊予銀行横井宇和島支店長さんにお願いを、アメリカのメンフィスでの放送を親族の方々が日本料理店を営んでいる市内の料飲業者の方にお願いをした。とりあえず世界には間違いはない。9万人は当日宇和島CATYに放送頂き画面の前で参加出来ない市民の方々がパフォーマンスして頂ければと考えた。それとフジさんに県下全店で放送頂けないかと考えていた。清家会長からフジ宇和島店長さんがもうすでにじゃこ天の歌を放送しているとお聞きしていたからだ。この件は清家会長がグランフジ本店におられる役員の方と懇意ということであったので会長と2人でお願いに行き実現をした。また県庁で毎日じゃこ天の歌を放送頂くよう檜垣企画調整部次長さん(当時、後東京事務所長)にお願いをしこれも実現の運びとなった。そしてついに手作りのポスターが完成をした。このポスターでトップの方々にお願いを清家会長とともに行脚を始めることとなる。また南予観光物産キャラバン隊でもPRをすることとなる。
そして直ちに念願の新橋駅掲示計画に着手する。JR四国のS課長さん(当時)にJR高松駅に掲示頂けないかまた、新橋駅で掲示して頂けるよう働きかけて頂けないかとお願いをした。後日電話があり「私の同期が課長でJR東日本にいる、愛媛県東京事務所に窓口を設けて頂けませんか」とのことであった。それで東京事務所の妻鳥課長さん(当時)にお願いをし引き受けて頂いた。そしてある日妻鳥課長さんから少し興奮した声で電話を頂いた。「ポスターが掲示されています。A0サイズのポスターが15枚、新橋駅と東京駅にもです。壮観です。2週間無料だそうです。こういうことはありない。これが最初で最後だそうです。」。
このポスターはまた宇和島市役所で業者に依頼して印刷していただくこととなる。雨に強いこのポスターは大変役立った。今冷静に考えると宇和島市役所には旨くフォローして頂いた事が多い。前を向いて前進のみの私に後輩にあたる私を森副市長さんが(当時)石橋宇和島市長さんや市役所職員の方々の調整に当たって頂いたものと思う。0予算だから当然市役所内にもストーリーがあったはずだ。

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