宇和島じゃこ天カーニバル

 宇和島市役所牛鬼保存会会長楠葉拓史、山下丸穂牛鬼保存会名誉会長(後ほど登場頂く)が一目置く存在である。このお二人は宇和島牛鬼祭りのほか代表的な宇和島のイベントには必ず登場する。このお二人が登場すればイベントは活気づく。南予の青少年のあこがれの的となっている。知り合ったのは一年前の8月のある日楠葉さんが私の部屋を訪れた時からである。当時私の部屋は多くの方々と知り合うためオープンにしていた。それと彼が私を訪ねる気になったのは多分次のようなことからであると思う。宇和島に赴任してから2ヶ月が過ぎた頃女性職員がガイヤカーニバルへの出場依頼に来た。地域の活性化を2年計画で描いていた私はまず地域の方々に私の顔を知って頂くことだと考え様々な会議に出席をしていた。作詞作曲は宇崎竜童、振り付けはピンクレデイーの土居甫氏によるハードな踊りだが良い機会だ。それで出場を了解した。そのとき私のためにと秘書の山崎(旧姓大平)さんがたすきを創って頂いていた。そして当日旗を振りながらたすきを掛けきさいやロードを踊った。登り坂の道は思った以上にきつかったが変わった人だと印象づけることにはなった。それを見た彼は興味を持ったのであろう。彼はそのとき熱く牛鬼について語った。そして彼が書いた新聞の連載投稿記事のコピーを頂いた。そこには牛鬼に乗るために毎日体力を維持するためジョギングをすることなどが書かれていた。その後イベントがあるごとに彼の勇姿を見させて頂いた。それで何かことあれば必ず彼に援助を頼もうと思っていた。まさに時来たれりである。
そこで、彼にじゃこ天カーニバル開催計画の経緯と出場の依頼をした。ところが元気ものの彼が思いもかけず難しい顔をして「井野課長補佐が困っている。このまま続ければ大変なことになる。」と返事をした。計画書もない、しかも0予算だ、時間もない、冷静に考えればそれが公務員としての正常な考えであろう。私は彼の出場が成功のキーポイントであると考えていた。彼に当日司会をお願いしようと考えていた。イベントがいざ始まれば何があれ仕切るのは司会だ。一年間の付き合いで彼ならやれると確信していた。どうあれ私には成功へのイメージがすでに出来あがっている、彼自身もまだ気づいていないようだがこの地域には私が出来ないことが出来る多くの人々がいる。これらの方々の力をお貸し頂ければ成功間違いなし。また0予算だから承認頂く人が少なく決断実行が早くできる。
また、このカーニバルが本当に成功するには、山下丸穂牛鬼保存会名誉会長、楠葉宇和島市役所牛鬼保存会会長のダブルスタンダードに出場頂くことは必須条件だと思っていた。なぜなら、この地域には牛鬼は絶対の存在だからだ。
やりとりの結果私は彼が了解していただいたものと思っていた。
数年後笑い話となったが、どうもその後楠葉さんは清家会長を訪れたとのこと。そして会長に「四之宮さんは誰の言うことも聞かない、清家会長の言うことなら聞くと思う、思いとどまるよう言って下さい。」すると会長は「四之宮さんを助けなさい。」と一喝したそうである。こう見えても私は様々な修羅場を経験している。絶対成功すると確信出来る人以外には頼まない。

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